代表取締役社長 工藤英幸

代表取締役社長 工藤英幸

大分県竹田市出身

東京の企業で、プログラマーとして勤務した後、フリーランスのシステムエンジニアとして多数のプロジェクト、現場を経験。その後、早稲田塾情報部門の責任者を経験した後、Yahoo! japan value insightにて、プロジェクトマネージャーを務める。

2010年1月に東京から大分県竹田市にUターンし、地域の活動や企業・団体等に関するホームページ製作。ほぼ一年がかりだったブログ講習会の依頼を受けて行う。動画製作等も実施。
2011年4月 ホームページ製作、動画製作等を行う(株)情報開発研究所を設立登記して事業開始。
著書:  「熊本地震 情報発信のメディアサイトで何を伝えたか」 インプレスR&D社より出版
世界のフリーランス インタビュー記事
大分IT経営推進センター正会員プロフィール


エピソード

・竹田高校ではラグビー部に所属し、高校二年時に県大会第三位(当時、県下30チームほどがあった。今や少なし( ;∀;))
オール大分(県選抜)の候補に協会から招聘される形で選ばれたが、同じポジションに日本代表候補がいたせいか落選。高校三年時の戦績も奮わず。


・高校卒業直後は、地元で排水管の工事に従事。それから大学に行くことを決意して予備校に行く。

また、近隣に大学や専門学校が無いため、受験進学校である竹田高校からは卒業後、同級生の90%がいなくなった。この時に、これって本当に正しいんだろうか?と疑問に思う。そして、就職口も少ないため、ほとんどの人が地元に戻ることはない。後に、竹田市は高齢化率日本一の街となった。


・中学、高校の文化祭にバンドで出演。大学の頃、東京で集まったメンバーでバンドを結成し、スカパーのMusic japan TVやMusic LinKに出演する機会を得て、インディーズバンドのランキングで、上位に入る(東京ホットインディーズ第3位、Fake&Co.music第2位等)
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当時、スカパーのチューナーから曲を販売できるシステムがあり、原盤使用許諾契約を締結する等、セミプロ的に活動。MP3で曲を配信するも、まだ世間に浸透し切れていない頃でもあり、ダウンロード数は惨敗。

また、バンドのメンバーにコンピューターやプログラミングに詳しい人物がいて、この時に色々教えてもらい実践していったことが、後にITを生業とするきっかけとなる。


・早稲田塾時代の記事(現在、インターネットで公開されている記事をリンクしています)

http://www.sharp.co.jp/business/cms/images/000020474.pdf

http://pc.nikkeibp.co.jp/article/Interview/20070706/276904/?rt=nocnt

http://www.sharp-sbs.co.jp/digital_signage/cases/wasedajuku.html


農村六起
・東京都の総評会館にて行われた内閣府認定プロジェクト「農村六起」のプレゼンでは日本全国から厳しい書類選考を勝ち抜いた出場者が集まっているだけにレベルが高く他のプレゼンを見た段階で、まだまだ未熟な自分は、こりゃ、うかるわけが無いわなと心から実感し、わざわざ一個人で(当然、交通・宿泊費も自己負担)、九州の山奥から東京まで来たが、現実的に考えて一回すべてをあきらめる( ;∀;)

そこで、地声をフルで出した時の声量だけは、他の参加者に負けない自信があったので(普段話している時は、いたって普通の声量です)

出せるだけの大声を出していたら、まさかのマイクが故障。

そのままマイク無しでも、プレゼンを続けていたら「マイクが無くても大丈夫じゃないか」と、途中、審査員様からありがたい評価をいただく(涙)

そして、残り一分で「高齢化率が日本一となった私が生まれ育った地域では、高校を卒業する段階で近くに大学や専門学校が無いし卒業後も就職口や職種も極少ないから自動的に出ていくしかない。戻ろうとしても戻れないんだ」と主張したら、北海道大学客員教授の川辺紘一様が「おお、それはよくわかった」とお答えいただき、プレゼンは終了。

一般的な意味で上手くいったとは言いがたいけど、自分の伝えたいことは伝えることができたし、この悲惨なプレゼンが少しでも記憶にとどめていただくことはできたかもしれない、もうこれに関係なく地元で起業しようと決意。

その後、審査は難航したそうなのですが、「ふるさと起業家」として認定される。

24時間テレビで総合司会を務めたこともある元アナウンサーであり、NPO法人ふるさと回帰支援センターの見城美枝子理事長から「あなたのやる気が伝わってきたわ。やっとこのふるさと回帰の流れを体現する人物が表れたんだと思う」と評価され、映画ノルウェイの森では俳優の松山ケンイチ氏の学生運動のシーンを指導した高橋公専務理事から、「起業家はタフじゃなきゃダメだぞ、あきらめるな」等のありがたいお言葉をいただいた。

温情に救われたんだと思います。御三方には、いつかご挨拶に伺いたいところです。

冷静に振り返ってみて、微かな確率すらも感じとれなかった中で、うかったこと自体が奇跡的でした。

そして、ありがたいことに新聞四紙(大分合同、朝日、読売、東京)にて報道していただきました。


九州北部豪雨「経験したことが無い雨」と向き合った災害復旧活動支援システム

・2012年に九州北部豪雨が発生した頃、ちょうど起業後の死の谷(いわゆる、売上とのバランスが取れず資金が枯渇した状態)を迎えており、また、災害の間接的な影響により仕事もキャンセルが続き「もう廃業するしかないか」と思いながら、自宅近くの土砂や流木を片づけていました。私自身も被災者でありました。
(竹田市が被災すると、うちの近所がいちばんひどい)

災害発生後、「経験したことが無いような雨」という発表があったが、昭和57年や平成2年にも同等の大災害が発生しており(死傷者も出た)
「経験したことが無い…?」
と、胸につかえるものが多々。
(平成2年の時は中学生でしたが録画してあって、映像で見る限り2012年よりひどかった)

たまたま、私が起業した時に自宅まで押しかけていただいた県庁の熱心な職員の方が、復旧活動を推進しているセンターの様子をFacebookにて投稿しているのを見て、もしかしかしたら、役に立てるかもしれないな。

「どうせやめるんなら、最後にやりたいことをやってみよう。ITの力で何かできないか」
と思い、
すぐに連絡を取る。

そして、センターのコーディネーターにあたる方と連絡を取ることになり、この人が、すごく理解があったおかげで、具体的に進められるようになりました。
この方がいなければ、非常事態の余裕のない中では、門前払いにあってもおかしく無かったです。

また、以前の被災経験があったからこそ、復旧活動を支援するシステムを経験に基づいて詳細がイメージできました。
災害関連のシステムは色々ありますが、他には無い、内容的に珍しいタイプだと思われます。

また、本件を行ったことにより、今までに近所の災害で亡くなった方や、先祖代々、被災してきた無念を晴らすことはできなかったですが、何もできないことを考えると、微力ながら、一矢報いることができたと思っています。

1ヶ月の復旧活動を支援した間は通常業務は停止状態だったので、さらに経営は苦しくなりましたが、継続し持ち直すことを目指しました。
企業は存在しているだけでも、経費、税金(法人県民税や法人市民税は赤字でも払わなければいけない)や、その他支払が発生し払わないと存続できないので、最優先に払うことを考え、自分自身の役員報酬をカット(と、言うとよく意味が通じていない感じがするので、言い換えると「給料が0円」ということです)
その状態は、約1年ほど続きましたが、従業員への給料等はしっかり支払っていました。

本当に普通だったら、やめている状況ですが、まずは第一にご発注、ご契約していただいているお客様、そして、応援していただいた方々のおかげで今日まで続けてこれた次第です。

心から、感謝しています。

また、たまに「また次があったら、よろしくたのむ」と言われるのですが、その時に弊社自体が存続していないと何もできないし、前回の緊急の非常事態の中で対応したように大きく損失を生む可能性があるため、ボランティアで行うのは難しいです。

それらもふまえて、日々、発展していけるように精進していきたいと思います。


ACADEMIC RESOURCE GUIDE(ARG)”起業・創業について”寄稿記事全文
https://jouhou-kaihatsu.jp/archives/560/

 

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